SHISHAMOは2026年6月13日・14日のUvanceとどろきスタジアム by Fujitsu(等々力陸上競技場)のワンマンライブをもって、活動終了することが発表されました。
昨日Zepp Haneda (TOKYO)で開催された「残暑お見舞い申し上げます!!!」。ツアーではなく東京1公演、“年内最後のワンマン”と事前に告知、しゃもサポ先行で全員当選、…ということもあり、何かしらの発表はあると予想していました。自分が予想していた中で、最悪の内容の発表となってしまいました。相当の覚悟をもって臨んだはずでしたが、それでも涙が止まりませんでした。「長く続けるつもりはない」と朝子は前々から言ってはいましたが、朝子の結婚発表当日のブログや10周年大阪城ホールで語ってくれたこと、11年目・12年目も精力的に活動を続けていることからも、まだまだ続けてくれる、15周年も当たり前のようにあると思っていました。
何事にも終わりは訪れます。SHISHAMOが終わる時。それは「朝子が終わると決めた時」、そう勝手に思い込んでいました。作詞作曲、グッズ・CDジャケットのデザイン、プロデュースも今となってはおそらくほぼ朝子。SHISHAMO=朝子といっても過言ではないほどの存在です。しかし、実際はそうではなかった。まずはそこが今回の発表で一番驚きました。
今回の発表を聞いた時。美冴貴ちゃん対するコメントが一切なかったことを踏まえ、あぁ、やっぱり戻ってこれなかったんだ、と。以前サポートメンバーについての記事を書きましたが、その冒頭で取り上げている『SHISHAMOの、裏側』での美冴貴ちゃんの発言。この時の朝子の返しは厳しいものでした。朝子は「良い形で終わりたい」と。
この3人でないとSHISHAMOじゃない。だから良い形で終わるために、ここで終わらせる。ここから新メンバーを入れて活動なんていうことは絶対にしないだろうから、だからこの決断なんだと。現地で発表を聞いた瞬間はそう思っていました。(とはいえ『君と夏フェス』で3分割のマルチアングルが映し出された時は「おや…?」と思ったが)
終演のアナウンスが流れると普通はそそくさと会場を後にしますが、昨日は誰も動かなかった。2階席を見上げてもまだお客さんが大勢残っている。あんな光景は初めてみました。ししゃモバタイムラインの2人の投稿を見たのは、それからしばらくしてからでした。
公式発表は20時。各メディアの記事も投稿され、Xでは瞬く間にトレンド入りしました。「2024年の初夏、松岡から」という公式のコメントを読んで。美冴貴ちゃんの休養はツアーでの話を聞く限り本当に急な話だったと思われるので、時系列的にそれよりも前から話が出ていたと。加入からもう10年以上経ちますし、これからの人生のことを考えると何ら不思議ではないのですが、切り出しが朝子以外のメンバーからであったことが本当に驚きました。よく考えたら普通のライブは遅くとも1年前には会場確保、等々力は川崎市やフロンターレも巻き込んでいることもあり、2年近く前から企画されるはずです。そして、当初の2018年ですら完売せず、今のバンドの状況だとスタジアム2daysは普通に考えれば無謀の挑戦。美冴貴ちゃんの休養はもしかしたらまた別の問題であり、それよりも前から“SHISHAMOの完結”に向かって歩き始めていたのかも、などと思いました。
私がSHISHAMOを好きになったきっかけは、UNISON SQUARE GARDEN目当てで行っていた2014年の『新木場サンセット』でした。その時はまさか翌々日にベースが交代するなんて夢にも思わず、自分がこのバンドをここまで好きになるとも思っていませんでした。松岡のSHISHAMOとしての最初の仕事がスピッツ先輩への挨拶、というのは度々話していますね。
まだ今のマネージャーK氏がいないぐらいの頃。宿泊先のホテルロビーでSHISHAMOメンバー一同と鉢合わせたことがあります。その時に「SHISHAMOのどこが好きなの?」「なんでこんなに来てくれるの?」…などと根掘り葉掘り聞かれました。SHISHAMOのどこが好きか。何度も言っている通り、私はSHISHAMOが好きというよりも「朝子が好き」というのが大前提にあります。では朝子のどこが好きか。SHISHAMOの曲は好きですが、共感するかと言われるとそんなわけでもなく。とても一言では表せないのですが、ひとつ挙げるとするなら。
「MUSICA」2015年3月号のバックカバー特集にて。「新メンバーを探してまでSHISHAMOを続けようと思った源は?」という質問に朝子はこう答えています。
松本が辞めることは元々100%決まってましたけど、実際にそうなった時、自分が作った曲はどうなるんだろう?って思ったんです。もし解散して、私が他で音楽やるにしても、SHISHAMOが今まで作った曲はどうなるんだ?って考えたら、曲が可哀想で。それがなければ、続ける理由はあまりなかったかもしれないです。
“曲が可哀想”。これまでに色々なアーティストの脱退や解散を耳にしてきましたが、こんなことを言う人は聞いたことがありませんでした。いつどんな時でも“曲”を第一に大切にしてきたSHISHAMO。私が朝子に惚れている理由の1つでもあります。
2016年の『オハラ☆ブレイク』にて。現マネージャーK氏に「Mayさんですよね?」と声をかけられ。名乗ってないのにな?と思ったら「いつもMayさんの話してますよ」…と。何故私だとわかったかというと以前プレゼントBOXがない時にK氏に差し入れを預け、それを覚えていたかららしいのだが、それを聞いて、あぁ、きっとヤバい人だと認識されているのだろうなぁと。
本格的に追いかけ始めたのが2015年、それから今まで、ワンマン対バンフェス問わず行けるライブには全て足を運んできました。2024年6月に突然職を失い、色々なことが重なり精神的に病んでライブに行けなくなり、当時はSHISHAMOなんてもう知らないもんね、と思っていたほど。初夏ツアーも秋ツアーも何とか気力を振り絞って1公演のみの参加。今となっては後悔していますが、それから少しずつ症状が良くなり、今年の春ツアーは再び全通記録を更新することが出来ました。終わったことは悔やんでも仕方ないですし、毎日寝たきりの状態から脱することが出来て、昨日のライブに行けて本当に良かった、と。のちにうつ病と診断され今もなお治療を続けていますが、SHISHAMOの前向きなコメントを読んで、自分も前を向いて生きていかなければいけないと、改めて思いました。
2014秋ツアーファイナルの赤坂BLITZでの朝子の「諦めなくてよかったです」の一言を聞き、私はその時、SHISHAMOの終わりまで一生ついていく、と誓いました。私が好きな人達は、今まで、一度も“最後”を見届けることが出来ませんでした。結成当初は9人だったNEWS。デビュー直後に森内が脱退。内と草野は突然いなくなった。山Pも亮ちゃんも当日付で脱退だった。手越の時は状況が少し違うけれど、“4人の最後”を見ることは出来ませんでした。
でもSHISHAMOは。“最後”がある。それも等々力なんていうこれ以上ない素晴らしい場所で2日間見届けることが出来る。こんなに幸せなことはない、と。この幸せを噛みしめながら残り9ヵ月、可能な限りライブに足を運びたいと思います。
SHISHAMOは私の全てと言っても過言ではありません。この10年以上、本当にたくさんの想い出があります。活動終了は悲しいですが、今は本当に感謝の思いしかありません。今までSHISHAMOを続けてくれて本当にありがとう。そして、第一にライブに来てくれたお客さん、その次にしゃもサポ、という順で報告してくれて、私達ファンを大切に思ってくれて本当にありがとう。大好きです。
長文となりましたが、読んでくださってありがとうございました。これまでに巡り合えた皆さんにも感謝しています。SHISHAMOはあと9ヵ月で活動終了してしまいますが、是非ともこれからも宜しくお願いします。
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